目次
はじめに
「卵は一つのカゴに盛るな」という投資の格言を聞いたことがありますか?これは「リスクを分散させよう」という意味ですが、なぜリスク分散が効果的なのか、その数学的根拠が「分散の加法性」にあります。
前回学んだ期待値では「足し算の法則」が単純でした。2つの確率変数X, Yについて、E(X + Y) = E(X) + E(Y)が常に成り立ちました。しかし分散の場合は、そう単純ではありません。確率変数が「独立」かどうかによって、分散の計算方法が大きく変わるのです。
今日は、この「独立性」という重要な概念から始めて、分散の加法性の仕組みを理解し、実際の投資やリスク管理にどう応用されているかを学んでいきましょう。
確率変数の独立性
独立性とは何か
独立性とは、「一方の結果が他方の結果に全く影響を与えない」という性質です。数学的には、以下の条件を満たす時に独立と言います:
独立の条件
P(X = x かつ Y = y) = P(X = x) × P(Y = y)
身近な独立の例
例1:2つのサイコロ
サイコロAで3が出ることと、サイコロBで5が出ることは独立
→ 一方の結果は他方に影響しない
P(A=3 かつ B=5) = P(A=3) × P(B=5) = 1/6 × 1/6 = 1/36
例2:別々の工場の生産
東京工場の今日の生産量と大阪工場の今日の生産量
→ 基本的に独立(特別な事情がない限り)
例3:独立しない例
・同一人物の身長と体重 → 相関がある(高い人は重い傾向)
・気温と アイスクリームの売上 → 気温が高いと売上も増える
・株式AとBの価格 → 同じ業界なら連動する可能性
独立性の判定方法
実例:コイン投げとサイコロ
コイン:表(H)/裏(T)、各確率1/2
サイコロ:1~6、各確率1/6
独立性の確認:
P(H かつ 3) = P(H) × P(3) ?
P(H かつ 3) = 1/12
P(H) × P(3) = 1/2 × 1/6 = 1/12 ✓
→ 独立である
分散の加法性の条件と公式
一般的な分散の公式
2つの確率変数X, Yの和の分散は:
Var(X + Y) = Var(X) + Var(Y) + 2×Cov(X,Y)
Cov(X,Y):XとYの共分散
独立な場合の特別な性質
X と Y が独立の場合、共分散が0になるため、分散の加法性が成り立ちます。
X と Y が独立の場合:
Cov(X,Y) = 0
したがって:
Var(X + Y) = Var(X) + Var(Y)
一般化された公式
n個の独立な確率変数の場合
Var(X₁ + X₂ + ... + Xₙ) = Var(X₁) + Var(X₂) + ... + Var(Xₙ)
定数倍と定数項
Var(aX + b) = a² × Var(X)
※定数項bは分散に影響しない
複数の確率変数の線形結合
Var(a₁X₁ + a₂X₂ + ... + aₙXₙ) = a₁²Var(X₁) + a₂²Var(X₂) + ... + aₙ²Var(Xₙ)
※X₁, X₂, ..., Xₙが相互に独立の場合
実際の計算例
例1:2つのサイコロの合計
設定
サイコロX:1~6、各確率1/6
サイコロY:1~6、各確率1/6
XとYは独立
各サイコロの分散計算
E(X) = E(Y) = (1+2+3+4+5+6)/6 = 3.5
Var(X) = E(X²) - [E(X)]²
E(X²) = (1²+2²+3²+4²+5²+6²)/6 = 91/6 ≈ 15.17
Var(X) = 91/6 - (3.5)² = 91/6 - 49/4 = 35/12 ≈ 2.92
Var(Y) = Var(X) = 35/12
合計の分散
Z = X + Y とすると
Var(Z) = Var(X) + Var(Y) = 35/12 + 35/12 = 70/12 ≈ 5.83
標準偏差:√(70/12) ≈ 2.41
例2:工場の生産量
設定
工場A:1日の生産量平均100個、標準偏差10個
工場B:1日の生産量平均120個、標準偏差15個
2つの工場の生産量は独立
合計生産量の分散
E(A + B) = E(A) + E(B) = 100 + 120 = 220個
Var(A + B) = Var(A) + Var(B) = 10² + 15² = 100 + 225 = 325
標準偏差:√325 ≈ 18.03個
重要な観察
個別の標準偏差の和:10 + 15 = 25個
実際の合計の標準偏差:18.03個
→ 独立な場合、リスク(標準偏差)は単純な足し算より小さくなる
例3:投資の基本例
設定
株式A:期待リターン8%、標準偏差20%
株式B:期待リターン6%、標準偏差15%
AとBのリターンは独立
等額投資(50%ずつ)の場合
ポートフォリオ = 0.5A + 0.5B
期待リターン:
E(0.5A + 0.5B) = 0.5×8% + 0.5×6% = 7%
分散:
Var(0.5A + 0.5B) = (0.5)²×Var(A) + (0.5)²×Var(B)
= 0.25×(20%)² + 0.25×(15%)²
= 0.25×400 + 0.25×225
= 100 + 56.25 = 156.25
標準偏差:√156.25 = 12.5%
リスク削減効果
株式A単独:標準偏差20%
株式B単独:標準偏差15%
50:50ポートフォリオ:標準偏差12.5%
→ 分散投資により リスクが削減された
ポートフォリオ理論への応用
現代ポートフォリオ理論の基礎
ハリー・マーコウィッツが開発した現代ポートフォリオ理論は、分散の加法性を基礎としています。
基本的な考え方
- 投資家は期待リターンの最大化とリスクの最小化を同時に求める
- 複数の資産に分散投資することでリスクを削減できる
- 最適な投資比率が数学的に計算できる
2資産ポートフォリオの一般式
投資比率
資産Aに投資比率w
資産Bに投資比率(1-w)
ポートフォリオの期待リターン
E(R) = w×E(Rₐ) + (1-w)×E(Rᵦ)
ポートフォリオの分散(独立な場合)
Var(R) = w²×Var(Rₐ) + (1-w)²×Var(Rᵦ)
最適投資比率の計算
リスク最小化の投資比率
Var(R)をwで微分して0とおくと:
w* = Var(Rᵦ) / [Var(Rₐ) + Var(Rᵦ)]
数値例での計算
前述の株式A(分散400)、株式B(分散225)の場合:
w* = 225 / (400 + 225) = 225/625 = 0.36
→ 株式Aに36%、株式Bに64%投資するとリスクが最小
最小分散の値
Var(R_min) = Var(Rₐ)×Var(Rᵦ) / [Var(Rₐ) + Var(Rᵦ)]
= 400×225 / 625 = 144
標準偏差 = √144 = 12%
独立性の重要性
独立でない場合の問題
株式AとBが正の相関を持つ場合:
・同じ業界の株式
・経済全体の影響を受ける資産
→ 分散投資の効果が限定的
相関係数の影響
Var(wA + (1-w)B) = w²Var(A) + (1-w)²Var(B) + 2w(1-w)Cov(A,B)
相関係数ρ = Cov(A,B) / [σₐσᵦ]
ρ = 1(完全正相関):分散投資効果なし
ρ = 0(無相関・独立):最大の分散投資効果
ρ = -1(完全負相関):理論的に無リスク可能
実践的応用例
1. 製造業でのリスク管理
複数拠点での生産
3つの工場で同じ製品を生産:
・工場1:月産1000個、標準偏差100個
・工場2:月産800個、標準偏差80個
・工場3:月産1200個、標準偏差120個
各工場の生産量が独立の場合:
合計期待生産量:1000 + 800 + 1200 = 3000個
合計分散:100² + 80² + 120² = 10000 + 6400 + 14400 = 30800
合計標準偏差:√30800 ≈ 175.5個
変動係数:175.5/3000 = 5.85%
2. 保険業界でのリスク分散
独立なリスクの分散効果
1000件の独立な保険契約:
・各契約の事故確率2%
・各契約の損失額100万円
期待損失:1000 × 0.02 × 100万円 = 2000万円
損失の分散:1000 × 0.02 × 0.98 × (100万円)² = 196億円²
損失の標準偏差:√196億 ≈ 442万円
→ 多数の独立契約により、相対的リスクが大幅削減
3. プロジェクト管理
並行プロジェクトのリスク
2つの独立プロジェクト:
・プロジェクトA:期間30日、標準偏差5日
・プロジェクトB:期間25日、標準偏差4日
並行実行(同時進行)の場合:
完了期間 = max(A, B) → 複雑な計算が必要
直列実行の場合:
期待完了期間:30 + 25 = 55日
分散:5² + 4² = 25 + 16 = 41
標準偏差:√41 ≈ 6.4日
まとめ
分散の加法性は、独立な確率変数でのみ成り立つ重要な性質です。この性質を理解することで、投資のリスク分散、製造業でのリスク管理、保険設計など、様々な分野でリスクを科学的に管理できるようになります。
今日のポイント
✅ 独立性:一方の結果が他方に影響しない性質
✅ 分散の加法性:独立な場合のみVar(X+Y) = Var(X) + Var(Y)
✅ リスク削減効果:独立な資産への分散投資でリスク低減
✅ ポートフォリオ理論:数学的最適化でリスク最小投資比率を計算
✅ 実践応用:製造、保険、プロジェクト管理での活用
次回は「共分散」について学びます。2つの変数の関係性を数値化し、相関分析やポートフォリオ理論のより高度な応用を理解していきます!